会社情報
社長インタビュー
冷凍・冷蔵設備の分野に特化し、時代とともに成長しながら、確かな専門技術を蓄積してきたハマ冷機工業。
創業70年を迎えたハマ冷機工業のあゆみと現在の取り組み、そして未来の人材への期待を、社長の中元寺 正樹が語る。
「ハマ冷機工業」の原点は、木製冷蔵庫。
——ハマ冷機工業はどのように創業したのでしょうか。
創業者は私の祖父にあたる中元寺 鐵城です。戦時中は戦車の設計に携わっていたようですが、終戦後に「ハマ木工」という木工所に勤め、そこで木製冷蔵庫と出会いました。当時は、一般向けの電気冷蔵庫などはありません。木で組み立てた冷蔵庫の上部に大きなブロック状の氷を入れる場所があり、その下の空間に野菜や魚などを入れて氷の自然冷却で冷える冷蔵庫が一般向けに普及していました。
——電力ではなく、氷で冷却する冷蔵庫だったのですね。
祖父は木製冷蔵庫の製造技術を身につけて昭和24年に独立し、「ハマ木工」から屋号の「ハマ」をいただくかたちで、大田区蒲田で家庭用・業務用冷蔵庫専門店「ハマ冷蔵庫」を創業しました。自らリヤカーを引っ張って商品を売り歩いたり、納めた後で断熱性能が落ちてしまった商品のアフターサービスも行っていました。もともと技術者だっただけに、メンテナンス作業は得意だったようです。その後、昭和38年に「ハマ冷機工業」と社名変更しました。
昭和40年代に入ると、大手電気機器メーカーの三洋電機が業務用冷蔵庫を含めたコールドチェーン(低温流通体系)業界に進出しはじめました。それに伴い弊社も三洋電機とコールドチェーン関連機器の代理店契約を結び、技術提供を行うようになりました。
——冷蔵庫専門店であったからこそ、技術を買われたということでしょうか。
はい。当初は海外から業務用冷蔵庫を輸入販売する動きもあったようですが、サイズ感の違いや、梅雨や四季による温度差といった日本独特の気候にも合わず海外製品をそのまま使うことはできませんでした。そうした理由から、国産業務用冷蔵庫の開発が待たれていたんです。
また昭和40年代頃から、それまではほとんど存在しなかったスーパーマーケットが勢いよく展開していきます。スーパーには冷蔵庫や冷凍庫が必須ですから、弊社の受注も同様に増えていきました。故障の際にすぐ対応できるよう、メンテナンス部門(現・技術部サービス課)をしっかりと据えたのもこの時期でした。
——昭和61年には札幌営業所を開設していますね。
スーパーマーケットの全国的な拡大に伴い、お取引があった東急ストア様が札幌に出店するということで、我々も北海道に営業所を開設しました。平成5年には、コープしずおか様の業務に対応できるよう、静岡にも事業所を開設しました。現在は東京本社のほかに静岡・関西・札幌の営業所と旭川出張所があります。
——お取り引き先の展開や拡大に合わせて、必要であれば地方にも営業所を展開してきたということですね。
メンテナンス部隊がもし東京にしかなければ、静岡で冷凍庫のトラブルが起きても駆けつけられません。待っている間に何もかも溶けてしまいますから。現在は、47都道府県すべてに弊社が取扱う商品を納めていますが、メンテナンスについては各地の協力業者とのネットワークを活かし、どこの県でトラブルが起きても対応することができています。
サービス部、営業部を経て、32歳で社長に
——次に、社長ご自身のことを教えてください。創業者の鐵城さん、二代目の一郎さん、三代目の直樹さんに続いて正樹さんが平成20年に就任されますね。
二代目の一郎が私の父、三代目の直樹が叔父です。残念ながら二人とも66歳のときに病気を患い他界しました。叔父が倒れ、その時営業職にいた32歳の私が社長を引き継ぐことになりました。
——とても急な就任だったようですね。
もともと私は機械いじりが好きで、自動車整備士になりたかったんです。自動車整備の専門学校に通って免許を取り、自動車会社に就職しました。しかし実際に仕事をしてみると、趣味として自分の車をいじるのと、お客様の車を修理するのは違うということに気づくわけです。自動車会社は数年で辞めることになりますが、もともと家業を継ぐ気はありませんでしたので、20代前半は運送業やベンダー会社などさまざまな会社で働いていました。
そんな時に父が病気になり、周囲から、父の会社に入って少しでも親孝行するようにと言われたんです。もともと機械いじりは好きでしたから、メンテナンスなら合うかもしれないと思い、27歳のときに中途入社しました。
——入社当初はメンテナンスのお仕事だったのですか。
はい。メンテナンスを行うサービス部では24時間365日、いつでもお客様にサービスを提供できるようにしています。本社に泊まり、深夜の電話に備えて待機することも多かったですね。3年ほど続けるうちにお客様から「中元寺さんに修理をお願いしたいのですが」と、実際指名制はないのですが、ご指名もいただけるようになって、仕事の面白みを覚えていきました。
——自動車メンテナンスと冷蔵庫メンテナンスでは、どのように面白さが違ったのでしょうか?
自動車の場合は形が決まっていて、パカッっと蓋を開ければ中身はほぼ同じです。でも業務用冷蔵庫の場合は店舗によって大きさも形も違いますし、工事の担当者や現場によって解決方法も変わってきます。何ひとつマニュアルにはめて対応できませんし、毎回、問題の原因を探るところから始めなければなりません。言ってしまえば宝探しのような面白さがあるのだと思います。
——その後、営業部を経て、若くして社長に就任されました。どのようなお気持ちでしたか?
サービス部から営業部に異動し、2年半ほど過ぎた頃に叔父が倒れてしまい、私が社長に就いたのが平成20年の夏でした。そしてその秋に、リーマンショックが起きたんです。お客様が計画していた投資がほぼ止まり、経営もジェットコースター状態で下降し、とんでもない赤字を出しました。朝礼で「従業員のみなさんの給料をカットします」と言わざるをえなかったときは、本当に辛かったです。
幸い、その3年後に新千歳空港ターミナルビル全面改装と国際線ターミナルビル開業が決まり、今までにない規模で業務用機器を納入できることになりました。その間に徐々に景気も戻ってきましたから、今思えば運に恵まれていたと思います。
——社長に就任されてから、取り組まれたことは何ですか?
利益率よりも売上げを伸ばすというそれまでの方向から、売上げよりも利益を出せるように意識をチェンジしました。分社化していた会社を吸収合弁し様々な販管費を下げることもすぐに実行しました。また、リーマンショックでカットした給料を従業員に返すためにも、売り上げが良い年には全員に手当を出し、みんなで分配することを決めました。これは当時から今もずっと続けています。合わせて給与体系の改善などにも取り組みました。
社内の座席配置も変えました。それまでは部署ごとに部屋が分かれていたのですが、全員をワンフロアに集めました。少々スペースは狭くなりましたが、社員同士がコミュニケーションをとりやすいようにしたんです。同じ部屋ですから、営業担当がお客様と電話している内容も周りに聞こえます。それぞれの担当案件の進み具合が感覚的に共有できるという意味でも、良い効果になっていると考えています。その他、社員にiPhoneを支給しスケジュールを共有するなどIT化にも取り組んでいます。
蓄積してきた技術を、若い世代に継承したい
——ここからは、近年の取り組みや採用についてお聞きします。まず初めに、現在のハマ冷機工業における主な部署を教えてください。
受注の際にお客様との窓口になる「営業部」、お客様の想いを図面に落とし込む「設計部」、現場の施工工程を管理をする「工事部」、メンテナンスサービスを行う「サービス部」の4部があります。ひとつひとつの案件に対して、それぞれの部が連携を取って対応を行っています。
——2012年4月にオープンした渋谷ヒカリエ「ShinQs」では、地下の生鮮食品ゾーンで「水冷式ノンフロン冷凍機システム」を日本で初めて導入されたとのことですが、詳しく教えていただけますか?
渋谷ヒカリエがオープンする3年ほど前から「環境に配慮した機器の導入を検討したい」という要望をいただき、パナソニック社と共同で研究開発させていただきました。まず前提として、環境へのダメージがないCO2冷凍機(ノンフロン冷凍機)を使用する場合、従来の室外機を建物の外に置かなければならないのですが、百貨店の場合は置くスペースがありません。屋上に置くとしても、地下の食品フロアからは高低差がありすぎるんです。
——ノンフロンの冷凍機を使用したくとも、スペース的に難しいということですね。
そこで、百貨店や商業施設に備わっている冷却塔(クーリングタワー)を使用する冷凍機を作ってはどうかと考えました。通常の「空冷式」ではなく「水冷式」にするシステムです。このプロジェクトは経済産業省の「平成23年度代替フロン等排出削減先導技術実証支援事業」として、支援をいただくこともできました。
この水冷式システムは現在のところまだ一般的な普及には至っていないのですが、2019年11月にオープンした「渋谷スクランブルスクエア」内にも、この技術を応用して洋菓子・惣菜ショーケースに小型内蔵型の水冷式冷凍機を納入させていただきました。
——既製の冷凍庫や冷蔵庫を販売・設置するだけでなく、お客様が求めるものを一緒に考え、新しく作り出していくケースも多いのでしょうか。
はい。お客様から「こんなことはできませんか?」と聞かれた場合は「探してみます!」「では作ってみましょう!」と前向きに考え可能性を探るところからスタートします。他の会社ができないことでも、これまでの蓄積と技術がある弊社だからこそ、柔軟に対応できることは多いと考えています。
たとえば、ワイングラスに水滴の汚れが着かないよう、きれいに洗うための浄水システムを作ったこともありますし、中華まんなどの点心を販売している企業様から「きめ細かい蒸気が出る蒸し器を作ってほしい」とのお話をいただき、保温ケースの受注に加えて、その内部に組み込むボイラーを探してきたこともあります。依頼されることが特殊であれば特殊なほど、得意としているところはありますね。
——現在、特に力を入れて取り組んでいることはありますか。
私たちは日々、お客様からご依頼いただく案件に取り組みながら、各所でさまざまな課題に直面しています。しかし、それらをひとつひとつ解決することで、知識や経験が確実に蓄積されています。70年にわたって蓄積されたそれらの技術を、これからの若い世代に継承していきたいというのが、ひとつの願いです。そのためにも現在、これからの時代に活躍する若い技術者の育成に力を入れています。また、全国の協力業者とのネットワーク作りも今後さらに注力し、より絆の深い協力関係を築くことを目指しています。
——中途採用についても教えてください。社長が考える「ハマ冷機工業」で働いて欲しい人材とは、どういう人でしょうか。
弊社では、経験は一切問いません。業務用冷蔵機器という狭い業界なので、初めはほぼ全員が未経験です。ただし技術系の会社なので、教える側は職人ですし、教育マニュアルもありません。そうした意味で、自ら進んで吸収する意欲や意識を持ち、主体的に成長できる人、また安定業界で手に職をつけたいと望む人は向いていると思います。手先が器用な人も大歓迎です。
——コミュニケーション力は必要でしょうか。
どの部署に入っても、人とコミュニケーションすることが多い仕事です。お客様の希望を汲みつつ、設計図や工事の工程に落とし込み、間違いなく遂行していくためには、お客様はもちろん社内でのコミュニケーションは必須になります。きちんと自分の考えを伝えることができ、人の話を聞ける人を求めています。
業務時間は不規則で、深夜の仕事も多い職場です。工事部や設計部の場合は現場によって、ひと晩で終わる工事から1週間、1カ月、1年かかる工事まで、すべてがケースバイケースとなります。またサービス部では、深夜対応のための宿泊待機も多くなります。そうした環境もご理解いただいた上でお越しいただければと思っております。
——最後に、入社希望者に向けてひとことお願いします。
弊社では百貨店からスーパーマーケット、駅の売店や空港、物流倉庫に至るまで、あらゆる場所に設置する、あらゆる大きさの冷凍・冷蔵機器を扱っています。また、冷蔵機器の販売や設置だけに留まらず、照明や空調の提案。更には厨房機器なども含めるとメーカーも多岐に渡り、覚えるべきことは非常に多いと思いますが、だからこそ毎回新鮮な気持ちで仕事に取り組めますし、お客様に喜んでいただけた際の感動もひとしおです。
当社の経営方針には「お客様に信頼され続けるために、卓越した技術力と、きめ細やかな対応力の向上に努め、視野を広く持てる柔軟な企業を目指す」とあります。当社の一番優れた商品であり財産は「人」であるべきだと考えています。当社の規模では恐縮してしまうほど素晴らしいお客様に恵まれているのも、人材に重きを置き人と人との繋がりを大切にしてきたことの表れだと感じています。お客様に信頼され続けるために皆さんに目指していただいているのは一人前の仕事ではなく、どこでも通用する一流の仕事。仕事もプライベートも充実して全員がお互いに学べる場所でありたいと考えています。働き方や取り組みに面白さを感じてくださる方や、手に職をつけたい方は、是非仲間になって財産を受継いで頂きたいと思います。
Profile
中元寺 正樹
ハマ冷機工業 代表取締役。1975年10月25日、東京都生まれ。
1997年、東京工科専門学校 自動車整備科を卒業し自動車メーカーに勤務。
2003年、ハマ冷機工業に入社。2008年より代表取締役。
趣味は、旅行・ドライブ・体を動かすこと。
座右の銘は「忘己利他」。
企画・構成 / 金沢大基 文 / 古俣千尋 写真 / 倉橋マキ